改正A案

「臓器の移植に関する法律」の改正案が衆議院で可決されました。

新聞報道によればA案では「脳死を一律人の死」とする内容であるといわれていますがぼくの理解と大分違うのでもう一回調べてみました。

A案の臓器摘出に関する脳死判定に関する部分は以下の通りです。

二 臓器の摘出に係る脳死判定は、次のいずれかに該当する場合に限り、行うことができるものとすること。(第六条第三項関係)

  1 当該者が一の1の意思を書面により表示している場合であり、かつ、当該者が脳死判定に従う意思がないことを表示している場合以外の場合であって、その旨の告知を受けたその者の家族が当該判定を拒まないとき又は家族がないとき。

 2 当該者が一の1の意思を書面により表示している場合及び当該意思がないことを表示している場合以外の場合であり、かつ、当該者が脳死判定に従う意思がないことを表示している場合以外の場合であって、その者の家族が当該判定を行うことを書面により承諾しているとき。


これをどう解釈すると「脳死を一律人の死」となるのか実はいまでもよくわかっていません。

国会の議論(参照)でも

中山君提出案は、移植のための臓器摘出及び脳死判定に係る要件について、本人の生前の臓器の提供等の意思が不明の場合に、遺族等が書面により承諾した場合を加える等の措置を講じようとするもので、その主な内容は、

第一に、移植のための臓器摘出の要件について、本人が生前に書面によって臓器の提供意思を表示している場合に加え、本人が書面によって臓器の提供を拒否する意思を表示している以外の場合であって、遺族が書面により承諾している場合とすること、

第二に、本人が臓器提供の意思を表示する場合において、親族に対して優先的に臓器を提供する意思を表示することができること

また、中山君提出案では、「脳死した者の身体」を定義した条文を改正して脳死を人の死と法律で規定しているのではないかとの指摘に対しては、法的脳死判定は臓器移植を行う場合に限定されており、法的脳死判定については本人または家族が拒否できる仕組みとなっているとの答弁がありました。

とありますし、国立循環器病センターの橋本先生の意見が紹介されていてA案はこの考えにそったものだという発現もあります。引用してみます。

臓器移植法に関連して、脳死をめぐる議論が混乱をしている。脳死という言葉の意味するところが、時と場合と発言者によって異なっていることに原因があると考える。すなわち、脳死状態と、臨床的脳死と、法的脳死判定で診断された脳死の三者が、混同してあるいはすりかえられて脳死として議論されているのが現状である。

臓器を提供するときだけ脳死が人の死であるという現在の臓器移植法のもとでのダブルスタンダードの死の定義にも混乱の原因があるが、この場合の脳死は、あくまでも法的脳死判定をされた後の脳死である。

現在の臓器移植法あるいはAからD案のどれにおきましても、臨床的脳死は法的に死ではありません。したがって、治療が中断されたり死亡を宣告されたりするものでもない。臓器提供の対象でもない。脳死を人の死として認めない人たちの意思が無視されるわけではない。

法的脳死は、臨床的脳死診断がなされた後で、二回の法的脳死判定検査を行ってなされる厳密なものである。臓器移植を前提にした場合にのみ家族の同意を得て行われてきたものであり、したがって、臓器移植の対象とならない十五歳未満の患者に対しては、法的脳死判定が行われたことはないはずである。

すなわち、十五歳未満の脳死患者に関するこれまでの議論は、脳死状態あるいは臨床的に脳死と判断された患者についてであり、法的判定によって脳死とされたものではない。

小児の脳死判定に慎重さが必要なことに異論はないが、法的脳死判定が行われたことはないという事実は、議論を進める上で極めて重要である。

理解が混乱する原因は、臨床的脳死という言葉が、あくまでも臓器移植ガイドラインの中で法的脳死判定を行うために出てきた言葉であるということにもある。臨床的脳死診断には無呼吸テストが不要であるが、法的脳死判定には無呼吸テストが必要であり、かつ、二回判定テストをする必要がある。臨床的脳死は、臨床現場において医師が神経学的所見などから脳死と判断する基準と変わらない。

しかし、現行法及びAからD案においても、この状態は人の死ではない。臓器移植に関する慎重論を考慮して、さらに法的脳死判定という手順を踏まなければ死とはされないということに、広く理解を求める必要がある。

脳死状態は、臨床現場で、患者の状態と今後の回復の可能性について説明のためのあいまいな表現として使われている。脳死に近いと思われる状態から、事実上臨床的脳死の条件を満たした状態まで、定義がなく、使う医師次第である。この脳死状態を脳死として議論を行うことにも混乱の原因がある。

この中には、当然ながら、脳死でない状態のものも含まれ、医師に脳死と言われたが意識を取り戻したなどというエピソードが出てくる原因と思われる。このようなエピソードを解釈する場合に、その場合の脳死はどのレベルで判断された脳死なのかを確認する必要がある。

以上、脳死という言葉の中に、一、明確な診断基準がなく、現状を主観的に説明する言葉として脳死状態を意味する場合と、二、脳死であるとするに十分な神経学的所見を有する臨床的脳死と、三、厳格な作業手順を経て判定される法的脳死が混在していることを述べ、どのレベルの脳死を意味するのかをその都度確認しないと議論はかみ合わないことを示した。

A案のように法的脳死をすべて人の死とする場合であっても、家族の同意がなければ判定作業そのものがなされないので法的に脳死の診断が下されることはないことは強調されるべきである。逆に、尊厳死を求める人たちにとって、脳死判定はその意思の具現化の手段でもある。したがって、脳死は人の死であるとすることによって、脳死を人の死と認める人たちにとっても、認めない人たちにとっても、リビングウイルを尊重できるシステムをつくることができると考える。

このようにA案は人の死を一般的に規定した法律ではないと思います。国会議員でもわかってい人は多いのではないでしょうか。

これが一人歩きするのは臨床の現場に混乱を与えると思います。

今回の改正では

1 死亡した者が生存中に当該臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合であって、その旨の告知を受けた遺族が当該臓器の摘出を拒まないとき又は遺族がないとき

とあって遺族がいない人は医療側が独自の判断で進めることができるようになっています。これはすこし怖いですね。

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