ぼくは虫垂切除を行ったことはない

当直終わり


ディアドクター」先週観ました。

命をかけて「嘘」をつきとおす話はとても興味を引きます。

“火車”とか“幻夜”とかすごくおもしろいわけです。


この映画も「嘘」をきっかけにある人生が顕わになってくるそこにドラマがあるという映画ならそれはそれでもいいのですが自分も医者なのでなにか考えています。


医者といっても様々だ。眼を患った患者の前ではぼくだって十分エセ医者だ。当たり障りのない言い方では”それはぼくの専門ではありません”ということになる。赤ん坊を取り出したことはないし虫垂を切除したことどころが生きている人間の腸にさわった経験もぼくには無いー実は心臓にはさわったことはあるのだがー。免許があろうが無かろうがある局面で役に立たないのは同じだ。


以前にも書いたがニセ医者はいる(参照)。

エセ医者もいて、エセ科学者はいるがニセ科学者はいない。

医者のなかでは、ニセ眼科医はいないが実はニセ麻酔科医はあり得る。

当たり前にエセ眼科医はいるしエセ麻酔科医もいる。


専門医を持っているとか学会活動が活発だというだけでは人の医者としての能力を推定できなことだけは確かだ。立派な医学評論家が有能な医者であるとは限らない(参照)。医療というのはお金とかその他人間的なものと関わりが深いのだろう。偉いと人に思われたいとかそういったこともあるだろう。

というようなことを夕ご飯を食べながら若い先生と話した。

この映画見る人の背景によって視点が様々になるように作ってあるのだろう。

とにかくおもしろいです。例えば「ウルトラミラクルラブストーリー」はリアルな物語とは言えないがこちらは十分リアル。

誰が観てもその人に響くものがある映画です。




「ディアドクター」のとりあえずのあらすじ

主人公は医師免許を持たないニセ医者である。人口1500人の村の村長にスカウトされて看護師と二人で診療所を切り盛りしていて在宅医療にも取り組んでいる。必死の勉強にも関わらず医療水準は客観的には高くないが、村民の信頼は篤いという設定で、ここにやってくるのが研修医の瑛太である。ヤマ場の一つに事故で呼吸音困難に陥っているー医者ならだれでも緊張性気胸だとわかる設定になっているー患者の治療の場面がある。ベテラン看護師に促されて16Gのエラスター針を二本前胸部に突き立てるシーン。脱気ができその瞬間伊野は”神”に昇格である。次のエピソードは胃がんを患い、娘(井川遥)を医師にもつ老人ー八千草薫ーに関するものである。伊野は根治不可能と知ってしらずかは定かでないのだがとにかくこのガン患者に胃潰瘍の治療を始めた。説明を受けにやってきた娘からうまくdefenceできたかと思われるのだが何かがはじけた伊野は村から脱走することになる。脱走後さまざまな事実が判明してきてその時から”神”だったはずの主人公はタダの詐欺師に墜落。村民は医師不在の状況でも多分対して困っていないのでは。

という映画です。

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